第1章「天皇」

第一章「天皇」(原文)
『天皇は天照大御神と同一身にましまし、宇宙最高の唯一神、宇宙統治の最高神。国憲・国法・宗教・道徳・学問・芸術乃至凡百の諸道悉皆 天皇に帰一せしむるための方便門なり。 即ち 天皇は絶対にましまし、自己は無なりの自覚に到らしむるもの、諸道諸学の最大使命なり。 無なるが故に、宇宙悉く、天皇の顕現にして、大にしては上*三十三天、下奈落の極低を貫き、横に 尽十方に亘る姿となり、小にしては、森羅万象 天皇の御姿ならざるはなく、垣根に喞く虫の音も、そよと吹く春の小風も皆 天皇の顕現ならざるなし。 釈迦を信じ、キリストを仰ぎ、孔子を尊ぶの迂愚を止めよ。宇宙一神、最高の真理具現者 天皇を信仰せよ。万古 天皇を仰げ。
日本臣民は自己の救済を目的とせずして、皇威伸張を目的せざるべからず。勿論自己は、皇威に於て救わる。然れども救われんがために 皇威伸張を念願するにあらず。 天皇の御前には自己は無なり。君民一如の自己尊きにあらず。自己に体現せられたる天皇の尊きなり。 天皇の修養即ち 忠は、飽く迄も 天皇其れ自体のためならざるべからず。*悉皆無所得 悉皆無所得、 天皇は人生のためのものにあらず、人生、天皇のためのものなり。
大楠公の歌える
‟身のために君を思うは二心
君のためには身をも思はじ” 天皇は国家のためのものにあらず、国家は 天皇のためにあり。 此の大自覚は、世上的価値を倒換して、永遠悠久の 天皇に唯一最高の価値を認むる時、単純極めて明白に現れ来る。魂の救い永遠の幸福が究境の目的ならば、天皇は手段方便にして最高の存在に非ず。 自己の学殖・職業乃至生活程度によりて、尊皇の程度に上下あらば、其は自己中心の人物なり。唯々心身を捨て果てて、更に何物をも望むことなく、只管に 天皇に帰一せよ。』
*三十三天―――仏説にある須弥山にある天の名称 *尽十方―――天地と東西南北とその中間の方位 *悉皆無所得―――大悟徹底の境地。無我の境地。

第一章 天皇(現代語訳)
『 この章では、天皇が天照大御神と同一であり、宇宙を統べる絶対的な唯一神であると定義する。 憲法、法律、宗教、道徳、学問、芸術など、世の中のあらゆるものは、全て人々を天皇という存 在へと導くための手段に過ぎないとする。日本国民は、自己の救済ではなく天皇の威光を広める ことを目的とし、天皇の前では「私」を無にし、天皇と心を一つにすること(君民一如)によっ てのみ、真に尊い存在になれると説く。魂の救いや永遠の幸福は、天皇に絶対的な価値を見出 し、自己中心性を捨てて天皇に帰一することでのみ得られると主張する。 天皇は、天照大御神と同一の存在であり、宇宙を統べる最高にして唯一の絶対神である。 国の憲法、法律、宗教、道徳、学問、芸術など、世の中のあらゆる道は、全て天皇という存在 に人々を導くための方便(手段)に過ぎない。 天皇は絶対的な存在であり、「自分自身は無である」という自覚に到ることが、あらゆる道の 究極の目的である。 人々は、釈迦やキリストや孔子ではなく、万古不変の真理の具現者である天皇を信奉すべきで ある。 日本国民(臣民)の目的は、自己の救済ではなく、天皇の威光を広めることにある(それによ って結果的に救われる)。 天皇の前では「私」は存在しない。天皇と心を一つにすることによってのみ、自己は真に尊い 存在となる。 人生や国家は天皇のために存在するものであり、天皇への忠誠こそが人生の目的である。 魂の救いや永遠の幸福は、天皇に絶対的な価値を見出し、自己中心的な考えを捨てて天皇に帰 一することによってのみ得られる。』
――――この著書も、敗戦後GHQによって、焚書処分にさせられた本です。80年をえて、復活されたものです。その労に携わって下さった、方々に深く感謝申し上げます。 日本とは何と大いなる、素晴らしい 国なのでしょうか❣ 日本に生を受け、日本人として命をつないできたことに、深く感謝申し上げます。
春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら肅む。佐藤一斎
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