
第三章 『「無」の自覚到達の大道』(原文)
『元来宗教・教育・芸術・武道・文学等凡百のもの悉く「無」に至るの道ならざるはなし。 即ち寸毫(ごくわずか)も余す所なく「我」を捨て去る手段なり。「無」に到るの部分は此の如く多種多様なるも、共通の根本道は唯一つ「人境不二」の道是れ也。境其物に成り切る境に没入一体化する 無雑純一となる事是れ也。時に日に月に此の訓練を重ねたる時、遂に人境共に無き無一物の境、否、無一物も亦なき絶対無の当体に到達すべし。
真忠ハ 忘レル 忠ヲ 念念是レ 忠ナルガ 故ニ
真孝ハ 忘レル 孝ヲ 念念是レ 孝ナルガ 故ニ (「言志晩録」佐藤一斎) 「本当の忠義者、孝行者は、忠義という事や孝行している事を忘れている。なぜなら思うことすべてが忠義や孝行であるからだ。」 味うべき此の一句。』
第三章「無」の自覚到達の大道(現代語訳)
この章では、宗教や教育、武道など、世の中のあらゆる道の究極的な目的は「無」、すなわち我 執(エゴ)のない境地に至ることにあると説く。そのためには、自分自身の「我」を完全に捨て 去る必要があり、その根本的な道は「人境不二」(自分と環境は一体である)という真理の体得 にあるとする。具体的には、自分を取り巻く状況そのものになりきり、完全に没入一体化する 「無雑純一」の境地を目指し、日々そのための訓練を積み重ねることの重要性を説いている。 宗教、教育、芸術、武道、文学など、世の中のあらゆる道は、突き詰めれば「無」(我執のな い境地)に至るための道である。「無」に至る道とは、すなわち、自分自身の「我」(エゴ)を完全に捨て去るための手段である。 その手段は多様だが、全ての道に共通する根本は「人境不二」(自分と環境は一体である)と いうただ一つの真理である。 これは、自分を取り巻く状況(境)そのものになりきり、完全に没入し一体化する、「無雑純 一」(混じりけのない純粋な状態)の境地に至ることである。 日々この訓練を積み重ねることによってのみ、「無」の自覚に到達することができる。
学を為す、故に書を読む
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