
―――日本学を深めていく為には、どうしても日本の神道と皇室の有り様を学び深めることが欠かせません。今回この中山忠直著『我が日本學』からそのヒント「天皇陛下の御日常」P486 を参照したいと思います。
天皇陛下御日常
天皇陛下は神としての行動を示現しておられる。それでその御日常は、実に御質素そのもので、一般が想像している様なものではなく、西洋の帝国とはまったく趣を異にしているのです。なぜ日本の教科書には、日本の陛下の御日常と、西洋の帝王の生活とを具体的にありのままを比較して教えないのでしょう。マルクス・ボーイが西洋学の観念で日本を説明したがるように、国民の中には西洋の帝室の尺度で日本の皇室を想像している者も少なくありません。この比較の欠漏が、何かと皇室に対する誤解の元になっております。
日本の皇室は、世界で一番に御質素である。秩父宮殿下が学習院に入学の時、御兄君の御制服の御古を頂戴されて御通学になり、高松宮殿下はそのまま御古を受けられて御通学になったことも、すでに何人も知っている有名な話で、実に恐れ多い極みです。汽車の給仕の話に、秩父宮殿下が御休みになる時に拝見したら、御寝間着につぎが当たっていたということも新聞に出ています。水害や大火や地震には、いち早く多額の御手許金を出して見舞われ、臣の子のように慈しまれるには、一方でこのように弟君の御服装までを御節約になられ、皇室の御費用は私事に使われず、公共のために使われている。この様な皇室が世界のどこにあるでしょう。
大陸では太古から皇帝は国民の保護者であるよりも、暴君であることが多く、虎や狼よりも幾分かましであるという程度で、民衆はその下で苦しみ呻かなければならない運命にあるのです。
日本の道路は今や世界一に完備され、完全に舗装されていますが、これも御手元金の御下賜によって速成されたものであり、各種の文化的の施設はほとんど陛下の御手元金をを中心にして集まった資金で成り立っているのです。皇室は常に国民の進まねばならない方角の範を示されており、これが「神ながらの道」であります。
日本の天皇陛下くらい、御多忙であらせられる御方は、日本に類がない。国際日は元よい御歴代の天皇の御命日には、必ず夜半から御起きになられて、朝まで御祭りを行われております。寒中でもこの事は御怠りはありません。西洋のように大僧正といったような役僧にやらせるのではなくて、日本では、陛下が御身みずから御親祭になられるのです。これが日本の孝道の大本なのです。そしてこのほかに、国家の大事の時には、夜中でも大臣を召して政務の臠(ご覧になる)せられるのです。
総理大臣が多忙の、警視総監が多忙のと言ったところで、陛下の御多忙には比べものにはなりません。このようなことはほとんど民間に伝わっておらず。私は今日まで、陛下の御多忙について真相を伝えた文章に接した事は有りません。
日本の天皇陛下は、御身みずから田に御入りになり、稲を御植えになります。まったく農民の労苦を御同情になって、共に苦を分かち合おうとの御心であります。また、皇后陛下が養蚕を遊ばされるのは、神代からの慣例です。
要するに日本の 天皇の御日常は、全世界の人類の各員が模範として尊守しなければならな手本なのです。――この様な御日常を、文章で宣伝せずに、実際の行動によって示す、これが「神ながらの道」の真髄であります。神道には理屈は不要です。
「正しいことを身をもって行う」――これが全てです。これを具現するのが神なのです。
日本国民は陛下の御徳、大御心、御行動が神のままであるところから、神として礼拝し、神業の一部を分担しようとするのです。こうして日本の国民は反神人なのです。
陛下は皇太子として御生まれになった時から「現つ御神」である御修行を御積みになるのです。この様な御学問が世界のどの帝室にありましょうか。この「神ながらの道」こそ、日本皇室の伝世の御家学であり、また、皇室の血を受けている国民の世襲の信仰であり、こうして日本民族は地球を神苑化する責任と、またその実行力をもつものです。
日本の皇室の御仁徳は、今に始まったことではなく、建国の初めから、御歴代の事であります。

教育勅語 原文
朕惟ふに、我が皇祖皇宗、国を肇むること宏遠に徳を樹つこと深厚なり。
我が臣民克く忠ひ克く孝に、億兆心を一にして、世々其の美を済せるは、此れ我が国体の精華にして教育の淵源亦実に此に存す。
爾臣民父母に孝に、兄弟に友に夫婦相和し朋友相信じ恭倹己れを持し、博愛衆に及ぼし、学を修め、業を習ひ以て智能を啓発し、徳器を成就し進んで公益を広め、世務を開き、常に国憲を重んじ、国法に遵ひ、一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし。
是の如きは、独り朕が忠良の臣民たるのみならず、又以テ爾祖先ノ遺風を顕彰するに足らん。
斯の道は、実に我が皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民の倶に遵守すべき所之を古今に通して謬らず之を中外に施して悖らず、
朕爾臣民と倶に拳々服膺して咸其徳を一にせんことを庶幾ふ。
明治二十三年十月三十日
御名「睦仁」御璽「ご印鑑」
教育勅語 原文
朕惟ふに、我が皇祖皇宗、国を肇むること宏遠に徳を樹つこと深厚なり。
我が臣民克く忠ひ克く孝に、億兆心を一にして、世々其の美を済せるは、此れ我が国体の精華にして教育の淵源亦実に此に存す。
爾臣民父母に孝に、兄弟に友に夫婦相和し朋友相信じ恭倹己れを持し、博愛衆に及ぼし、学を修め、業を習ひ以て智能を啓発し、徳器を成就し進んで公益を広め、世務を開き、常に国憲を重んじ、国法に遵ひ、一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし。
是の如きは、独り朕が忠良の臣民たるのみならず、又以テ爾祖先ノ遺風を顕彰するに足らん。
斯の道は、実に我が皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民の倶に遵守すべき所之を古今に通して謬らず之を中外に施して悖らず、
朕爾臣民と倶に拳々服膺して咸其徳を一にせんことを庶幾ふ。
明治二十三年十月三十日
御名「睦仁」御璽「ご印鑑」

――――この『教育勅語』こそ、全世界に発信すべきメッセージです。
コメント