洟垂虚白個展(ブログ用)

絵画

1949年 新潟県下田村(今は三条市)出身  画歴:50年以上

ゴーギャン「我々は何処から来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか」

 昭和24年生まれ、現在75才。55年程、絵を描き続けるてきた。経験は長いものの、未だ一向に本物の「自己肯定感」が持てないでいる。なぜ❣                                                          最近、「我が日本学」中山忠直著(復刻版)を手にする事が、幸運にも出来ました。この著書は戦後、GHQによって、焚書ふんしょ処分によって、この世から抹殺さてたもので、田中英道先生(東北大学名誉教授)によって最近、再発刊して頂いた著作物です。この著書によって、多くの発見を頂きました。                            皆さんは、ご存知の事と存じますが、日本の心の有り様が、戦前と戦後では、全く変わってしまった。  いや、GHQによって、全く変えられてしまった事実。私は勿論、戦後生まれです。戦後からの復興時に生まれて、小学校、中学校と時代は進んで行きました。高校生、戦争の影さえも全て無くなった中で、   「生きるとは何か!」に苦悩した記憶がよみがえります。それから「ハア、ハア」と言いながらも辛うじて生きて(生き長らえて)参りました。キリスト教に、また仏教に救いを求めてさまよい続けるました。何一つ得るものなく今日まで、歩み続け、絵を描く事によって、辛うじて生かされて参りました。        今この年で、手にした「我が日本学」中山忠直著によって、目が開かれた思えでおります。        日本国として、建国以来2700年続けられて来た国、大きな戦争も無く(内乱や小競り合いはあったが)  かくも永く続いて来た国が、世界中どこにありましょうか!しかも君主、自らが祭祀として、一人一人の民の幸福を祈り、全地の平和を願って下さる。また、自然豊かな日本。この地に生を受けたこと、感謝せずにおれましょうか。                                                              この著書に出会い、これを機に「教育勅語」明治天皇が下し賜った、明治23年(1890)         拝読する機会が与えられました。なんと素晴らしい文面でありましょうか、当時の小・中学生は暗唱を命じられたとのことです。これは、世界に誇るべき教育の指針ではありますまいか。なんでGHQが禁止されたのか理解に苦しみます。

 今、まだ命が与えられております。心を180°回転し、生きてまいります(後,何年の命か分かりませんが)命の原点に帰還した記念として、これまでの作品達(と共に、深い懺悔を持って)ブルグ上で、                                           「洟垂虚白個展」を開催させて頂きます。(2025/5/31)

 

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「平櫛田中賛」
「虚村夜雨」
「拝啓 Vincent van Gogh 殿」
「五合庵・良寛」
「五合庵・国上山くがみやま
[雅歌」
   「天に舞う」
「月に舞う」
「太陽のはにかみ」
「滝」
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  教育(きょういく)勅語(ちょくご) 原文(げんぶん) 

(ちん)(おも)ふに、()(こう)()(こう)(そう)(くに)(はじめ)むること(こう)(えん)(とく)()つこと深厚(しんこう)なり。
()臣民(しんみん)()(ちゅう)(よく)(かう)に、(おく)(ちょう)(こころ)(いっ)にして、()()()()()せるは、()(われ)国体(こくたい)(せい)(くわ)にして教育(きょういく)(えん)(げん)(また)(じつ)(ここ)(そん)す。
(なんじ)臣民(しんみん)父母(ふぼ)(こう)に、兄弟(けいてい)(ゆう)(ふう)()(あい)()朋友(ほうゆう)(あい)(しん)(きょう)(けん)(おのれ)れを()し、(はく)(あい)(しゅう)(およ)ぼし、(がく)(おさ)め、(ぎょう)(なら)(もっ)智能(ちのう)(けい)(はつ)し、(とく)()成就(じょうじゅ)(すすむ)んで公益(こうえき)(ひろ)め、(せい)()(ひら)き、(つね)(こく)(けん)(おも)んじ、国法(こくほう)(したが)ひ、一旦(いったん)(かん)(きゅう)あれば()(ゆう)(こう)(ほう)じ、(もつ)(てん)(じょう)()(きゅう)(くわう)(うん)()(よく)すべし。
(かく)(ごと)きは、(ひとり)(ちん)忠良(ちゅうりょう)臣民(しんみん)たるのみならず、(また)(もっ)(なんじ)祖先(そせん)()(ふう)(けん)(しょう)するに()らん。
(この)(みち)は、(じつ)(われ)(こう)()(こう)(そう)()(くん)にして、()(そん)臣民(しんみん)(とも)遵守(じゅんしゅ)すべき(どころ)(これ)古今(ここん)(つう)して(あやま)らず(これ)中外(ちゅうがい)(ほどこ)して(もと)らず、
(ちん)(なんじ)臣民(しんみん)(とも)(けん)(けん)(ふく)(よう)して(みな)(その)(とく)(いっ)にせんことを(こい)(ねが)ふ。


   明治二十三年十月三十日


   (じょ)(めい)(むつ)(ひと)(じょ)()「ご印鑑」

教育勅語 (現代語訳) 
(ちん)(明治天皇御自身)が思うに、我が御祖先(そせん)の方々が国をお(はじ)めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。

 (なんじ)臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、へりくだって()(ずい)()(まま)の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、(ぜん)(りょう)(ゆう)()の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に(こう)(しゅつ)(てん)()並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして(しん)(ちょく)のまにまに天地と共に(きわま)りなき(あまつ)(ひつぎ)(皇位)の御栄をたすけ奉れ。かようにすることは、ただに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。

ここに示した道は、実に我が(おん)祖先(そせん)のおのこしになった御訓であって、(こう)()(こう)(そう)の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を(たい)(とく)実践(じっせん)することを切に望む。

  明治23年10月30日

 御名(じょめい)(じょ)()

死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし、生きて大事の見込みあらば、いつでも生くるべし。 吉田松陰  

ご来展ありがとうございました。

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