我が日本學  日本の神さま 1

歴史哲学

――――この著書「日本の神さま」 松浦光修著                                                ――この表紙、及び帯に書かれています、言葉を記載しておきます。                ――そうだったのか、日本の神さま、「日本神話」は、神話ではなかった。                                        みずからを知るために、日本人として、必ず知っておくべきこと。
 我々はどのようにして生まれ、いかに歩みを進めるべきなのか「神代の物語」「皇室」「神宮」を深く知ることで、日本人の誇りと、豊かな心を取り戻すことが出来る。 
 天皇陛下は日々、私たちの幸せを祈って下さっておられます。・・・・                                                                    この一つの事実だけでも、全国の学校で教えるようになれば、見違えるほど日本の子供たちの心は立て直され、やがては混迷を続ける日本にも、希望の光が差し始めるのではないか・・・と、私は思っております。

ここで、皆さんこの言葉に疑問を感じませんか!「日本神話」は、神話ではなかった。          このことについて、本書の松浦光修先生の解説を記載しておきます。                                                「神話」ではない「神代の物語」P134                                                        「古事記」や「日本書紀」に残されている「神代の物語」を、江戸時代の学者たちは、「神代巻」と呼んでいました。ところが、そういう言い方は、いつの間にか消えてしまい、今は学界でも世間一般でも、それらの事を「神話」と呼ぶようになっています。                                                神道の世界にいられる方々でさい、そう言ってはばからない方々がいますので、何も目くじらを立てる必要はないのかもしれません。しかし、私は近ごろ「神話」と言う言葉に対して、かなりの違和感を覚える様になっています。

「神話」と言うのは、「myth」の翻訳語で、明治32年から、一般に広く使用される様になった言葉です(谷省吾「神道原論」)。しかし、この「myth」と言う言葉には、他の意味合いもあるのです。      「作り話」「でっち上げ」「根拠のない話」等・・・、この言葉の内部には、極めて否定的な意味が含まれているのです。                                                                                                  「一神教」に改宗した西洋の人々から見ると、「ギリシャ」「ゲルマン」「ケルト」などの多神教の「神話」は「作り話」「でっち上げ」「根拠のない話」に見えるのでしょう。ですから、西洋から伝わったこの言葉に、不定的な意味を含まれるのは、ある意味当然のことです。

――――これまで私は、「一神教」の神様こそ、本当の神(キリスト・阿弥陀仏)との認識で生きて来ました。しかし、ここで、考えを修正する必要がある様に感じてなれません!                                           

「旧約聖書の神様」当時のユダヤ民族の民以外を、全滅(老人・子供・女性・家畜に至るまで)させるように、命令を下しております。

――――モーゼが亡くなり、ヨシュアの時代になります。神が命ずる、エリコの町をを占領します。ユダヤの民には、同様に、この様な命令がなされます。                       ヨシュア記6章21節「彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく、剣にかけて滅ぼし尽くした。」(新共同訳)

――――この宇宙においては、ガンジス川の砂の数ほどに「仏」はいらっつしゃる。その仏様方の大先生が「阿弥陀様」言う。そこでその絶対の仏である、阿弥陀様に帰依(頼みとする)して「南無阿弥陀仏」と唱える事によって、自分は生きている今に救われ、また死んだ後も仏として、永遠の命を頂くことができる。(仏説無量寿経)                                                                                

松浦光修著「日本の神さま」

――――この著書、購入して4~5日ですが、一度、サアーと読み終わった。また、素晴らしい著書の出会いです。松浦光修先生の著書はこれで三冊目です。凄く分かり易く、私のような無知な人間にも読みも深める事が出来ます。是非とも多くの方々の目に留まるように願っています。          また、日本の古典「古事記」「日本書紀」の解説書的な役割の著書です。時間をかけて、これらの古典を読み深めたいと思っております。                               

今回は、 「天照大御神アマテラスオオミカミ」と「須佐之男命スサノオノミコト」の物語を探ってまいります。                                               天と地が初めて開かれた時、まず天上の高天原には多くの神々が現れました。そして、男女一組の神々も現れはじめ、「伊耶那岐命イザナギノミコト」(男性)と「伊耶那美命イザナミノミコト」(女性)が生まれました。二神は結婚され、列島の島々を生み、多くの神々生んでいかれました。「伊邪那美命」が「火の神」を 出産した時、陰部を「火の神」の火で焼かれてしまい亡くなってしまいます。そして、イザナミは黄泉の国(死者の国)に行ってしまいます。イザナギは妻の後を追い、黄泉の国へ妻を訪ねます。そこでイザナミの変わり果てた姿に会い、そこの恐ろしいの妖怪に追われて、からくも黄泉の国を脱出します。       ようやく、黄泉の国から逃げ帰った「伊邪那美命」は、九州の日向(今の宮崎県辺り)の海辺で海に入り身を洗い清めます。   その「みそぎ」の中で、三柱みはしらの貴い神々が現れました。それが「天照大御神」「月読命つこよみのみこと」「須佐之男命」です。                                                                                                             「天照大御神あまてらすおおみかみ」は、天地を照らす、日の神。女性の神様です。                                              「月読命つきよみのみこと」は、夜の世界を治める、月の神様です。                                                      「須佐之男命すさのうのみこと」は、お父さん(イザナギのミコト)に『海原を収めなさい。』と言われましたが、スサノウは『お母さんのいる、根の国へ行きたいんだ!』と泣きわめきます。スサノオは荒々しいがアマッツタレの男の神様です。

海原を追い出されたスサノウは「それなら、姉さんに会って、理由を話してから、根の国へ行こう」と言って、高天原に上ります。その時、山や川が動くほどに国土が激しく震えました。

天照大御神は、「弟が来るのは、私の国を奪おうとするからにちがいない」と思え弓矢で武装して「なぜ、わざわざ上ってきたのか?」と問いただします。スサノオは「決して悪い心ではありません」といいます。そこで、その心を明らかにするためにそれぞれが誓いを立てて、子を産むことで決着をつけることにしました。それは、スサノオの勝利で決着が着きました。そこで、スサノオは勝ち誇りアマテラスの国で乱暴狼藉の限りを尽くします。とうとう、死者をも出してしまう有様です。アマテラスは大変悲しまれ、「天の岩屋」に入って戸を閉め、籠ってしまいました。そうしたら、高天原も、地上の  葦原中国も共に、真っ暗になってしまったのです。                                           天照大御神が、天の岩屋に隠れると高天原も地上も真っ暗くなり、あらゆる災いが起きてきました。困り果てた、高天原の神々が集まり、相談しました。天の長鳴き鳥を鳴かせたり、鏡や沢山の勾玉を作りました。それから、緑の葉の榊を、根ごと掘り出して立て、上の枝には、沢山の勾玉をひもで連ねた輪にかけ、中の枝には大きな「八尺の鏡」を取り付け、下の枝には、布の飾りを付けました。                                天児屋命あめのこやねのみことは、祝福の言葉を唱え、天宇受売命 あめのうずめのみこと はかずらのつるをたすきにかけ、竹の枝葉を手に取り面白おかしく踊りました。それを見て、たくさん神々がどっと笑ったのです。                                 アマテラスは「この騒ぎは? たくさんの神々が笑っているのは?」と思い、岩屋の戸を少し開けました。すると、アメノウズメノミコトが「貴い神がおられるので、喜んでいるのです」と言い、フトタマノミコト達が鏡をお見せすると、立派な神が映っています。アマテラスがますます不思議に思い、さらにその鏡をのぞかれたとき、力の強い、天手力男神あめのたじからおのかみが引き出しました。                                                 こうしてアマテラスが出てこられたので、高天原たかまがはらと地上の国は、光が照りわたり再び明るくなったのです。その後、神々は相談して、乱暴なスサノオノミコトに罰を与え、高天原から追放しました。                                                  

 

戸隠神社(中社)長野県 「タヂカラオノカミが投げた石ノ戸が戸隠に落ちたと伝えられる」

高天原を追い出された、須佐之男命は、出雲の国(今の島根県)の肥の河(今の斐伊川)の岸に降り立ちました。その川を上って行くと、年取った夫婦が一人の娘を見て、泣いています。                            どうして泣いているのか、と聞くと「八岐の大蛇という、目は赤く、頭が八つ、尾が八つあって谷や山にまたがる様に長い怪物がいて、この櫛名田比売を、もうすぐ食べに来るので、泣いているのです」と言います。                                                                        スサノオは「その娘を、私の妻にもらえまいか。私は、天照大御神の弟とで、今、高天原から降りてきたんだ」というと、老夫婦は「かしこまりました」のことです。                                                 そこで、スサノオはクシナダヒメを櫛の形に変身させ自分の髪にさして守り、老夫婦に命じます。     「まず、ききっめの強い酒を造りなさい。そして、その酒の入った大きな八つの器を置いて、オロチの来るのを待つのだ。」                                                      その通りにして、待っていると、オロチは表れました。そして、その八の頭は、酒の入った器に突っ込んで飲んだのです。オロチは、いい気持になって寝てしまいました。                                                               スサノオはオロチに立ち向かい、長い剣で切り殺しました。その尾を切った時、何か固いものに当たりました。見ると尾の中に立派な刀があったのです。それを取り出し、アマテラスに差し上げました。   これが天叢雲剣あめのむらぐものつるぎ(後の草薙剣くさなぎのたち)です。

オロチを退治したスサノオは、クシナダヒメを妻に迎えるための御殿を場所を探します。そして、ある場所に御殿を立てました。その時、詠んだ歌が伝えられています。

  八雲立やぐもたつつ  出雲八重垣やぐもやえがき  妻籠つまごみに                                                                  

  八重垣やえがきつくる   その八重垣やいがき

(雲はさかんに立ち昇る、この出雲の、妻と共に住む御殿に、八重の垣根をめぐらせよう)

「草薙剣」は、代々の天皇に受け継がれる「三種の神器」の一つなっています。

――――だいぶ長い、ブログになりましたが、いかがだったでしょうか。                                                 私は、個人的には、この須佐之男命の物語は大好きです。この物語は自分の生涯と、当に象徴しているのです。若い頃の暴虐性、スサノオの暴虐性、私と同じです。恥辱と悔恨の極めてです。多くの方々(特に男性)は感じられませんか!私はこの世から即、消えたい程に「辱め」を感じます。         しかし、そんな私をもまだ生きる、希望があるのです。

須佐之男命の生き様、神々が、我々と同じように苦しみ、悩み生きて下さったのです。                                                                そんな神々に囲まれて生きることが出来るんです。このことこそ希望ありますまいか。

   学を為す、故に書を読む。

(我々が学問をするのは、自己修養、吾づくりの為。その為に本を読むのです。)

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