
――――ユダヤ人の日本渡来は、もう既に多くの方々によって証明されており、今更にその根拠を示す事もありますまい。古代、縄文時代からユダヤ人の影響と思われる多くの影が残っています。 田中英道先生によりますと、 第一波 紀元前13世紀ころ、「出エジプト・縄文時代・日高見国・スサノオ」 第二波 紀元前722年以降、「アッシリヤ捕囚・失われた10支族・日本建国」 第三波 紀元前3~2世紀 「秦の始皇帝・3千人程・秦氏各地渡来」 第四波 紀元3~4世紀 「弓月国から秦氏2万人・応神天皇が受入」 第五波 431年以降「エフェソス公会議・ネストリウス派・蘇我氏」
――――かくも、多くのユダヤ人が日本に渡来して、日本人に同化していった。自分達の持っている「一神教」を捨てて、なぜ同化していったのか?
「旧約聖書の申命記」こんな箇所があります。
『主はあなたとあなたが立てた王とを携えて、あなたもあなたの先祖も知らない国に移されるであろう。木や石で作った他の神々にあなたは仕えるであろう。』 申命記第28章 36節
――――「あなたもあなたの先祖も知らない国」「木や石で作った他の神々にあなたはつかえる。」 まさに、日本を象徴するような表現ではありませんか。「旧約聖書」の時代に既に、日本に渡来する事が予言されていた。驚きです。 今一つ、面白い比較があります。旧約聖書に出てくる、「モーゼの十戒」と日本に残されている「十善戒」の違いを見ていきます。
モーゼの十戒 【旧約聖書――出エジプト記・神が石版に刻み、それをモーゼに与えた。それをユダヤ人は契約の箱に納めて持ち運んだ。】
第一戒 あなたはわたしのほか、なにものをも神としてはならない。
第二戒 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。
第三戒 あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。
第四戒 安息日を覚えて、これを聖とせよ。
第五戒 あなたの父と母を敬(うやま)え。
第六戒 あなたは殺してはならない。
第七戒 あなたは姦淫(かんいん)してはならない。
第八戒 あなたは盗んではならない。
第九戒 あなたは隣人について偽証してはならない。
第十戒 あなたは隣人の家をむさぼってはならない。

十善戒【仏教・華厳経の教えの一つ。秦河勝 (ユダヤ系の渡来人)の建立した広隆寺には「十善戒」が残っています。秦河勝は族長的な人物、飛鳥時代に聖徳太子に仕え活躍。広隆寺は京都太秦にある秦氏の氏寺、御本尊は弥勒菩薩と聖徳太子。「国宝第一号の弥勒菩薩半跏思惟像」がある。】
1)不殺生(生き物を殺さない)
2)不偸盗(盗まない)
3)不邪淫(不道徳な男女関係を持たない)
4)不妄語(嘘をつかない)
5)不綺語(無駄な言葉を使わない)
6)不悪口(悪口を言わない)
7)不両舌(人を分裂させる言葉を使わない)
8)不慳貪(欲張らない)
9)不瞋恚(怒らない)
10)不邪見(誤った見解を持たないこと)

――――日本に渡来したユダヤ人は、砂漠の国、捕囚の身から東へ東へと旅を続け、やっとの思いで平和で食物や自然の豊かな国、日本にたどり着き日本民族に同化して行った。ゆっつくりした時間の流れの中で心の支えである、「一神教」を捨てて、「日本の神道」「仏教」アニミズムへと同化して行ったと考えたほうが良いではと思われます。 ただ、ユダヤ民族としてのポリシーを日本文化の中に、多く残されています。例えば、祭りの歌詞の中に、掛け声の中に、神社の設計(イスラエル民族の幕屋を模す・鳥居等)の中に、子供たちが歌う「童謡」の中に、隠された形で残されております。
このブログの表題「我が日本学」中山忠直著の中に、こんな箇所が記載される。P462 世界の宗教はすべて排他的である。ひとり日本の神道だけは海のように寛容である。その中に仏教やキリスト教やマホメット教や孔子孟子という、大魚や小魚の泳ぐに任せている。日本に宗教なしと言うのは、魚を見て海を見ないようなものである。日本は大陸の諸宗教が来て遊ぶに任せて、しかし神道はいよいよ賑やかである。 『神ながらの道』皇太后殿下御編纂 の巻頭にこの様な御歌記載されております。 異国のいかなる教いり来ても、とかすがやがて大皇国ぶり わが「神ながらの道」の理想と信仰は、どのような思想や宗教をも融合して、落ち着いてゆとりのあるものである。

香取神宮
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