瞑想を具体的(ただ、座って自分の身体を観察するだけですが!)には、どんな方法(考え方)で行のかをチョプラ氏・メロ氏の著書をお借りして探究してまいりましょう。

『富と成功をもたらす7っの方法』ディーパック・チョプラ著(渡邊愛子訳)
純粋な可能性の法則(さあ、現実を創り出して行こう) 自分自身の真の性質にさらに、アクセスすると、あなたは自然に創造的な考えを受け取るようになります。なぜなら純粋な可能性の場は、無限の創造性と純粋な知識の場でもあるからです。 オーストリアの哲人で詩人であるフランツ・カフカは、かって次の様に言いました。 「あなたは自分の部屋から出る必要はありません。机の前に座ったまま、聞いて下さい。あなたは聞く必要もありません。ただ待って下さい。あなたは待つ必要もありません。ただ静かに、動かずに、一人でいるようにして下さい。世界は惜しげもなく自らを差し出し、仮面を取るでしょう。世界はあなたの足元にエクスタシーをもたらすしかないのです。」 宇宙の豊かさ――この宇宙が創造してきた贅沢で華やかな作品の数々とその豊富さは、自然の「創造的な心」が表現されたものなのです。自然の心と調和すればするほど、あなたはその無限で際限のない創造性につながっていきます。 しかし、その豊富で無限で創造的な心とつながるためには、自分自身の内なる対話の荒波をこえていかなければなりません。そうすることによって、あなたは永遠で、際限がない無限の心の「静寂」を保ちながら、動的な活動の可能性を生み出すのです。 この静かで際限のない無限の心と、動的で制限のある個人のの心の絶妙な組み合わせが、あなたが望むどんなことでも叶えることができる、静と動が同時に作用する完璧にバランスがとれた状態なのです。 この反対のもの同士の共存――静と動が同時に起こることが、あなたの状況や、環境や、人々や物事から自由にしてくれるのです。 あなたがそっとこの反対のもの同士の絶妙な共存を認識したとき、あなたはエネルギーの世界――量子のスープまたは非物質――つまりこの物質的な世界の源と、自分自身を提携されるのです。このエネルギーの世界は、流動的で動的で弾力性があり、変化に富んで永遠に動いています。それでいてまた、不変で、不動で、平静で、永久で、静寂なのです。 「静止」は、それだけでは創造のための可能性です。「動き」は、その表現の特定の側面に制限された創造性です。しかし「静」と「動」の組み合わせは、、あなたの持っている創造のパワーを、注意を向けられたあらゆる方向に解き放たせてくれます。 動きや活動のさなかにいても、あなたの中の静寂を保って下さい。そうすれば、あなたの混沌とした動きも、あなたが純粋な可能性の場――創造性の宝庫――にアクセスするのを妨げることも無いでしょう。
――――何と素晴らしい、教えでありましょうか! 「無の境地(純粋意識)」の大切さ――宇宙のエネルギーに同化する為、無限の可能性に融けあうため、我々自らが「静寂」の中に身を置き、「今の永遠性」の宇宙のエネルギーを頂く(一体化する)――これこすが瞑想の目的です。
アントニー・デ・メロ著 心の泉 沈黙【明け渡し】
まず、沈黙に至りつくことから始めましょう。
そのために、あるがままの自己、本来のあなた自身に戻ってみましょう。 すなわち、現在、たった今に生きることに努めるのです。 そこで、自分にこう問うてみて下さい。 たった今、いったい自分はどこにいるのか? わたしは、何をしているのか? 今、わたしは、何を考えているのか? 自分の身体に何を感じているのか? わたしは、どんな仕方で呼吸しているにか?
沈黙というものは、直接に導き出されたり、 求めて得られるものではありません。 ただ、意識に目覚めていてください。 そうすれば、沈黙のほうから自然に顔を表すことでしょう。
あなたが今、この沈黙のうちに、神との交わりを持ちたと望むならば、 まずは、このように想像してみて下さい。 あなたが息を吐き出すたびに、全身の力を抜き、自分自身をすべての明け渡す・・・・ ――息を一つ吐き出すたびに、あなたは、神に「ハイ」と答えることになる・・・・ それは、今日あるがままのあなた自身に「ハイ」とうなずく事。 ――神があなたという人間をおつくりになったことに対して「ハイ」とうなずく事であり、 また、あなたが、今日あるがままの、あなたになったことに対してうなずく事でもある・・・・ それは、あなたの過去の全てに対する肯定でもある・・・・
息を吐き出すたびに、万事はうまくゆくと意識しながら、全てゆだねてください・・・・ 心配したり、心を騒がせる事をいっさいやめ、平安が心を満たしてくれるようにと願いましょう。 わたしたちの平安、それこそは神のみ旨にかなうものなのだから・・・・

―――この文面には「神」の言葉が何度か出てきますが、私は「神」を「宇宙の原則・エネルギー」とか「絶対的存在」「大いなる存在」と言った解釈で理解しております。仏教的には「仏様」と言った解釈で構わないように思います。ここに今、生きている事の不思議、存在している事の奇跡を感じます。 瞑想は自分の今を見つめる訓練です。自分自身の今を見つめ、その中に永遠を感じる喜びです。
心の泉 沈黙 【感触】
皮膚の感覚のことごとくに集中してみて下さい。・・・・ まず、頭のてっぺんから始めて、 徐々に下へ降りてゆき、足の爪先までたどってゆきます・・・・
身体の部分によっては、何も感じないところがあっても、全く構いません。 ただ、そうした感覚を感じ取ろうとしさえすれば、 この黙想によって益がもたらされるでしょう。 さて、それぞれの感覚は生化学的な反応であり、 生きてゆくためには、神の全能の力を必要としていることを 思いめぐらしてみましょう・・・・
この感覚を経験するたびに、自分は、神の力を感じているのだと想像してみて下さい・・・・
感覚を味わうたびに、これは神が触れているのだと考えて下さい・・・・ 荒っぽい感触、滑らかな感触、心地良い感触、痛々しい感触など・・・・
神がこのように触れることによって, 各部分は光を放ち、そこに癒しの力が働くことを想像してみて下さい・・・・

――――我々の周りには常に「宇宙の絶対的な力・エネルギー」が働かんとして、待ち構えておられるのです。瞑想この計り知れない恵の泉。
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