瞑想

瞑想

『生にまよい、死におそれつつ生きる私どもを導いて、その生に意義を有らしめ、死に光をあらしめるものは、真実に目覚めたもうた仏祖のみ言葉であります。』(浄土真宗聖典 序より)

 私の宗教遍歴を少しお話しします。気が付くとこの世に人として生を受け存在しておりました。自我に目覚めた頃から、生の喜び多々感じつつも、どこか拭えさることの出来ない「死」の恐怖もまた強いものでした。40代頃、あるキリスト教会に引き寄せられて入信して「聖書」の学びを始めました。それ以前から絵(油絵)描いておりましたので、絵をかくなら「聖書」の学びも必要との思えでした。   学び続ける中で多くの疑問も生じてきました。キリスト教世界に特に戦争が絶えることがなく、戦争の歴史が人類の歴史でした。ましてや「旧約聖書」には、神がユダヤ人達に、「この人種を全滅させよ!」との命令が随所に出てまいります。また、自身の中に有る「死への恐怖」は一向に解決されることなく過ぎて行きました。50歳,60歳が過ぎて60代半ばで決意しました。キリスト教は止めようと!                    しかし、心は落ち着きません。しばらくして、仏教と出会うことが出来、入信しました。                            如何に節操ない人間か、お察し下さい。                            その仏教とは「浄土真宗 ○○会」でした。浄土真宗に接したのは初めてでした、真剣に学びを深めて参りました。深まるほどに、何か胡散臭いがしてまいりました。その教祖がおっつしゃいます。「○○会以外の話は聞いてはいけない。これ以外は邪教だ!」それに、教祖に続く講師先生方のお話も、教祖のお話しの内容のコピー以外の何物でもない、といったものでした。カルト教団とも思えてきました。               その教団も脱退(除名)の結果となりました。しかし、そのお陰で他の多くの浄土真宗教団のお坊さんの法話の聴聞に、ご縁を頂いております。                                       それと同時に、瞑想(マエンドフルネス)に出会うことが出来ました。この瞑想、素晴らしいものです。元々はお釈迦様が菩提樹の木の下で悟り開かれた、瞑想(座禅)方との事です。         悩み事が小さくなり、体の中から希望が湧き出て参ります。                   このブログ書く切っ掛けにもまりました。お読みくださる方々に「生きることの喜び」を共に感じて頂けたら幸いです。

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