アントニー・デ・メロ著 古橋昌尚・川村信三訳

灯(ともしび)
あなたの部屋の明かりをすべて消し、ろうそくに火をともしてください。 それを、あなたから、二、三歩離れたところに置いてください。
さあ、そのろうそくの炎に意識を集中してみ見ましょう・・・・ ときに、それは、踊るような動きを見せる。 ほんのかすかな動きさえも見失うことのないようにして下さい・・・・ 炎にまったくうごきがなかったり、じっと燃え続けることもありましょう・・・・ 目を閉じて、空想の内にその炎を見るほうが、もっと心落ち着くかもしれません・・・・
目を開けて、炎に目をやるとき、 それがいったい、あなたにとって何を象徴するものであるか 思いめぐらしてみましょう・・・・ この炎が、あらゆるものの象徴となるかもしれません・・・・
ろうそくの炎と結びついた過去の思い出を、意識にのぼらせてください・・・・
次に、その炎と対話してみて下さい。 ――生と死について炎自身の生と死、あなたの生と死について。 あるいは、生と死一般についても・・・・
しまいには、ことば、思い、記憶のいっさいを脇にのけ、 炎を沈黙の内に黙想してみてください・・・・ そうするうちにあなたの心に何かメッセージが与えられるようにと願いましょう。
思惟的な頭ではつかむことのできないような知恵、 その様な知恵が与えられますように・・・・
最後に及んで、両手を合わせ、ろうそくの炎にお辞儀をしてから、別れを告げることにする・・・・ それから、うやうやしくろうそくを吹き消す。 わたしは感謝の内に、あることに気が付いている。 すでに、あの炎によって心に何かがともされていることに・・・・ それを今日一日、絶やすことなく、くすぶらせ続けてみよう・・・・

夜明け
《自然》が目を覚まし、新たに始まったばかりのこの一日に挨拶をする。 その声に耳を傾けてみよう・・・・
沈黙と《自然》の歌が混じり合ってることに、注意を向けてください。 被造物はなんと様々な歌をうたう事だろう! また同時に、その沈黙のなんと深いことだろうか! どんな《自然》の音も、この《永遠なる沈黙》を妨げるものではない。 この《沈黙》は、《宇宙》をすっぽりと包み込んでいるものだから。 こうした音に耳をそばだてるなら、 いつの日か、あなたもこの《沈黙》を聞く事が出来るでしょう。
《被造物》が目覚めるとき、 それは、いったいどんな感情を抱いているのだと思いますか? 被造物が、夜のしじまをを破って、そろそろ活動を開始しようとする時、 どんな気持ちで動き始めるのでしょうか?・・・・
今度は、自分の心に耳を傾けてみて下さい。 そこにもまた、歌があるはずです。 あなたも《自然》の一部なのだから。 今まで、あなたがその歌を聞いたことがないならば、 それは、心から耳を傾けていなかった証拠。 耳を傾けてみて下さい。 それは、どんな種類の歌ですか? 悲しい歌・・・・幸せな歌・・・・希望に満ちた歌・・・・愛にあふれた歌・・・・
あなたの心には、沈黙もあるはず。 もし、一つ一つの考えや、心の混乱、 空想や感情を意識するならば、 その沈黙を感じそこなうはずはありません・・・・
さて、あなたの心の歌を聞いてみましょう。 あなたを取り囲む《自然》の歌と混じり合った心の歌を・・・・
ただ、耳を傾けてみて下さい。あなたが敏感に、音を聞きとるならば、 それだけ、あなたは心静かになるでしょう。 あなたが心静かになるならば、 それだけ、あなたは敏感に、音を聞くようになるでしょう。 また、空気が流れ出る直前に出来る、 小さな空間の断片をも見守ってみましょう・・・・

見張り
泥水も静かに澱んでいるときには透き通り、 夜には、その表に月をくっきりと映し出す。
そのように、あなたも、心を静かに落ち着けなさい。 考え続けるのをやめなさい。 と言っても、考えを即座にやめるこ事が出来るわけではありません。 そのための良い方法は、心の中に何か集中するものを持つ事です。
そこで、あなたの呼吸に焦点を当ててみて下さい。 呼吸をコントロールしたり、あえて深めたりしないで、 ただ、それを意識してみて下さい・・・・ 呼吸が生み出す動きを意識して下さい。 たとえ、その動きがとるに足りない、ほんのわずかなものあったとしても。 あなたの身体に生み出される動き・・・・ あなたの肺に起こる動き・・・・ 横隔膜に生ずる動き・・・・
あるいは、息を吸い込む事に意識を向けてみてください・・・・ そして、息を吐き出す事に意識を向けてみてください・・・・ 集中力を高めるために、心の中で、こう言うのも良いかもしれません。 「わたしは今、息を吸い込んでいる・・・・ 今、わたしは息を吐き出している・・・・」
入ってくる息と、出てゆく息との違いを意識してみましょう。 吸う息、吐く息のじ続出時間はどう違うのか・・・・ 暖かさはどう違うのか・・・・ 息の流れる時の滑らかさ、または、荒っぽさにおいてはどう違うのか・・・・
決して思いめぐらすことも、検討を加えることもなく、 ただ、呼吸に意識を向き、注意をそらさないでください・・・・ ちょうど、あなたが流れゆく川の水を見つめるときのように、 あるいは、空飛ぶ鳥をみるときのように・・・・
あなたが、呼吸に注意を向けていくうちに、 全く同じ呼吸が、二つとないように、きっと気づくでしょう。 ちょうど、人間の顔に二つと同じものがないように、 夕暮れの空に、二つと同じものがないように。 あなたの洞察は、まだ乏しいものだと言わなくてはなりません。
泥水が澱んで、静かに落ち着いた時、その時、 一つひとつの息も、ほかのものとはハッキリ異なった、 ユニークなものとなるでしょう。
自分の息を見つめることは、 川を見つめることのように、魅惑的なこととなりえます。 知恵が生まれ出てくるからです。 また、沈黙も訪れてきます。 そして、神の臨在を感じるようになるのです。
ただ、ただ、見つめてください。 それによって、すべてが清くすみきってきます。 泥水が透明になってゆくでしょう。 ――そして、あなたは、見えるようになりましょう。
――――「ろうそくの炎」を見ながらの瞑想。ぜひ、実際に体験してみて下さい。きっと、新たな経験を楽しむことができるでしょう。 また、「泥水」のたとえ、我々の心を上手くたとえ、捉えて導いて下さいます。 何と素晴らしい、心に響く詩(うた)でしょうか。
朝夕30分の瞑想を楽しみましょう
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