『ひとりきりのとき人は愛することができる』アントニー・デ・メロ著 中谷勝代訳 を読んで

黙想『私が来たのは、地上に火を投ずるためである。その火がすでに燃えていたらと、どんなに願っていることか。』ルカ12-49
「幸せの意味を知りたければ、花を、鳥を子供を見ることだ。それらは天の国をあます所なく映し出している。過去も未来もない永遠の今に、一瞬一瞬を生きているのだ。だから人類をこれほど苦しめる罪悪感や不安とは無縁で、純然たる生きる喜び、人や物よりも命そのものを楽しみむ喜びに満たされている。自分の幸せが外部の何かや、誰かから生じて保たれている限り、私はまだ死者の国にいる。何の理由もなく幸せな日、すべてを楽しみ,何も楽しまない自分に気づく日、その時こそ天の国という終わりなき喜びの国を発見したことを知るのだ。」
――今、私達はいろんな助けによって生かされている事を、あまり思うことなく生きています。個人的な、遠い過去の醜い想出に苦悩し、まだ見ぬ未来の生活に心配が尽きません。ついつい、今の大切さを忘れて生きるのが現実ではないでしょうか。
この季節、今は4月の春です。思い出すのはロシアの文豪 レフ・トルストイ の『復活』の書き出しの部分です。
『復活』より 「春はやっぱり春である。都会のなかにおいてさいも春であった。太陽が暖めると草はよみがえって、根こそぎにかきとられなかった所なら、どこでも、並木街の芝生の上ばかりでなく、敷石の間からさえ萌え出していたるところ青ばんでいる。白樺やポプラやみざくらなども粘った香りのの高い若葉を開き、菩提樹は新芽をふくらませている。鴉や、雀や、鳩なども、春らしい喜びに、早くも巣の支度をはじめ、日光の暖かい壁には蠅がうなっていた。こうして、植物も鳥類も、昆虫も子供もみんなそれぞれ喜び楽しんでいた。しかし、人びとは――1人前の大人だけは――自分で自分をだましたり苦しめたり、お互いに騙し合ってることのをやめないのであった。人間の考えでは、神聖で重要なものは、こうした春の朝でもなければ、また、あらゆる生き物の幸福のために与えられた、こうした神の世界の美―― 平和と一致と、愛に導く美でもなくて、彼らが互いに他人を支配し合うために、自分で勝手に考え出したことなのであった。」
――この季節、新緑の時節にこの一節を朗読する事が好きです。先ほどのメロさんの詩と通じるところが有ります。一層好きになってしまいました。 今一度、メロさんの散文をご紹介させて頂きます。頭に記載した『ひとりきりのとき人は愛することができる』の中の一説になります。
黙想『金持ちが神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を遠る方がまだ易しい。』マルコ10・25
「幸福を得るには何をすればよいだろう。自分も他人も、できることは何一つない。何故って?答えは簡単明快、わたしはたった今すでに幸せだから。もうすでに持っているものを手に入れることができるだろうか!これが本当なら、すでに自分のものであるはずのこの幸福を体験していないのはなぜだう。私の頭が始終不幸を作り上げているからである。この頭の中の不幸を叩き落してしまえば、いつでも自分のものである幸せが即座に浮き上がる。どうやって不幸を落とす?その原因を突き止め、びくともせずに見つめるのである。不幸は嫌でも崩れ落ちる。
さて、注意深く見てみると、不幸の原因はただただ一つであることがわかるだろう。 その名は「執着」である。執着とは何だろう。特定の物や人なしには幸せになれないという信念んのもたらす、感情のしがみつきである。 この感情のしがみつき状態は二つの要素から成り立っている。一つは肯定的、一つは否定的である。 肯定的要素とは、一瞬の快感や興奮、つまり、自分が執着しているものを手にした時の体験するスリル感である。否定的要素とは、執着に四六時中ついて回る危惧感と緊張感である。 強制収容所で食べ物を飲み込む人を思い浮かべてみよう。一方の手は食べ物を口に運び、もう一方の手で、ちょっとでも油断すれば隣人に奪われかねないその食べ物を守っている。これほどよく執着人間のイメージを表しているものはない。執着は、その本質からして、人を情緒不安にさらし、持っている平安を打ち砕こうと常にねらっている。これでは執着人間が神の国と呼ばれいる幸福の大海に入れるわけがない。ラクダが針の穴を通るようなものだ。」
――「瞑 想」 マエンドフルネス ―― 何と素晴らしい知恵でしょうか。マエンドフルネスは執着の捨て場所です。呼吸に、また今とゆう永遠の存在に全神経集中、過去や未来の煩いからの解放される。この状態は言葉にできない程の幸福感と神聖さに満ちております。
今一つメロさんの『ひとりきりのとき人は愛することができる』から散文をご紹介いたします。
黙想『だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。』マタイ10-16 ― 鳩や、花や、木や、全自然界に働いている知恵を観察しよう。人間の頭脳がなしえないことを私達人間のために行ってくれるのは、こちらの知恵である。私達の精神意識が他のことにいそしむ間、血液を循環させ、食物を消化し、心臓を動かし、肺を広げ、体内に免疫性を与え、傷をいやす。 いわゆる文明から遠ざかって生きる人、鳩のように素朴で知恵ある人々の間に私達はやっとこの手の自然の知恵を発見しつつある。

黙想 『狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。』マタイ8・20 ― ほとんどの人は人間関係で一つの誤りを犯している。人生というとどまること知らぬ潮流のさなかに揺るぎない憩いの巣を築こうとする誤りを。
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