瞑 想 18

瞑想

「小鳥の歌」 アントニー・デ・メロ著

  

  エジプトの墓から生えた小麦

 一握れの小麦の粒が古代エジプトの王の墓から発見されました。五千年も前のものでした。       ある人がそれを地に埋め、水をやりました。すると驚いたことに、小麦の粒は生き返り、五千年たった 今、芽を 出したのです。

ある人が悟りを開くとき、彼の言葉は、命とエネルギーに満ちた種のようになります。その種は受け入れる準備の出来た肥沃な心の中にまかれるまで、何世紀もの間、たねのままでいることもあるのです。

わたしは、聖書の言葉が、死んだ干からびたものだと考えてきました。今、私は、それらがエネルギーと命に満ちている事を知っています。石のように死んでいたのは、私の心の方でした。どうしてそんな処から何かが生えることなどできたでしょうか❣

――メロさんの優しい、そして、真実を醸し出す文面が好きです。

   私は木を切る!

〈禅師〉が〈悟り〉に達したとき、彼はそれをことほぐ【言祝ぐーお祝いの言葉】ため、次にように書きました。                                                  

「おお驚嘆すべき不思議よ、                                                                私は木を切る!                                                 私は井戸から水をくむ!」

ほとんどの人にとって、井戸から水を汲んだり、木を切ったりするような行為は少しも驚嘆すべき事ではありません。悟りの後でも何一つ変わりはしません。すべてが元のままです。あなたの心が驚きに満ち溢れているだけです。木はもとのままの木、人々は以前そうであったのと同じ人々。そしてあなたも、そのままです。前と同様、気難しい時もあり、冷静な時もあるでしょう。賢い時も、愚かな時もあるでしょう。一つだけ重大な違いがあります。今やあなたは、これらすべてを違った目で眺めています。あなたは、これらすべてから以前より超然としています。あなたの心は驚きで満たされています。

これが「観想」の本質です。〈驚き〉の意味です。

〈観想〉は忘我と違います。忘我は人を退かせます。悟りを得た感想者は木を切りつづけ、井戸から水を汲み続けます。〈観想〉は美の知覚とも違います。絵画にしろ、夕焼け空にしろ美の知覚は、美的な喜びをもたらしますが、観想は驚きをもたらします。――夕焼けであれ、石であれ、見つめる対象が何であってもそうなのです。

これは子供の特権です。子供は何かにつけて驚きの目を見張ります。だから子供は、ごく自然に、我が家にいるように〈天国〉にいるのです。

    宗教の万国博覧会

友人と私は博覧会に行きました。〈宗教の万国博覧会〉です。貿易の見本市ではありません。宗教の見本市です。でも競争は同じくらい激しくて、宣伝は同じくらい騒々しかったのです。

〈ユダヤ教展示場〉では、〈神〉は〈完全に憐れみ深い方〉で、ユダヤ人は〈選ばれた民〉である、と書かれた資料をもらいました。他のどの民族もユダヤ民族のように〈選ばれ〉てはいないのです。

〈イスラム教展示場〉では、〈神〉は〈完全に慈悲深い方〉で、マホメットだけが〈預言者〉である、と教えられました。救いは〈神の預言者〉に耳を傾けることによってのみ、なされるというのです。

〈キリスト教展示場〉では、〈神〉が〈愛〉であり、〈教会〉の外にはどんな救いもない事を発見しました。〈教会〉に加わるか、永遠の破滅に身をさらすかどちらかなのです。

外に出ながら、わたしは友人に尋ねました。「〈神〉についてどう思う?」友人は答えました。「〈神〉は偏屈で、狂信的で、残酷だよ。」

家に帰ると、私は〈神〉に言いました。「主よ、どうしてこんなことを耐え忍んでおいでなのですか?あの連中が、何世紀もの間、あなたの悪名を高くしてきたとお思いになりませんか?」

〈神〉は言われました。「私が博覧会を組織したわけではないんだよ。わたしは恥ずかしくてそこを訪ねる気にもならないのだ。」

――世界には、どれほどの宗教法人が存在するでしょうか? 各団体がそれぞれに我が会派こそが 〈真実の教え〉を導くものであります。と主張しております。特に日本にはおおく存在すると言われます。この現状を踏まえたら、日本中に〈悟り〉の方々が溢れかえっておられましょうに❣

   楽しい朝夕30分の瞑想を大切に!

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