瞑想をどんな形で取り入りているか、私の貧しい体験を少し話させて頂きます。
瞑想(マエンドフルネス)―ー実に簡単な事です。
足を組み(椅子OK)、目を閉じ(半眼)て、意識を呼吸に集中する事なのです。その簡単な事が、実に難しいのです。
人様にお教えできる程の者ではないのですが、半年程の体験をお話しさせて頂きます。ただ、今から20年程前、近所に禅の先生が、おられまして個人指導を受けた事がありました。その時は二時間の座禅に足の痛みに堪え切れず、挫折してしまいました。でも週一回で三か月程通ったと記憶しています。
マエンドフルネスの瞑想方を知って、すんなりと取り入れることが出来ました。気楽に始めました。いまは朝・晩30分程続けております。実に気持ちいいのです。今はユウチュブ等でお教えして下さる先生方が多くおられます。合宿所(一週間程)も有るとのこ事です。
先ずは、ご一緒に始めてみませんか、色々体験等をお聞かせ頂けたら幸いです。
自分の内面に静かに意識を集中する事は、日常生活に余り無いことではないでしょうか!私の日頃の頭の中は雑念でイッパイ、「ああしょう」「これもしなければ」「あれはどうだっけ」「あれ、忘れてた」―そんなこと一切をほうり捨て、座ってみる『こんなに静かな時って、あったんだ。』―驚きがあると思います。
瞑想中は只々無(何も考えない事)になることに意識を集中する事です。
ただ時々、私はこんな事もやります。これは邪道かもしれません。実は浄土真宗を救いの元に生きている者です。時々瞑想中に「南無阿弥陀仏」を称えるのです。
浄土真宗の称えるお経の一つ『仏説無量寿経』に阿弥陀仏の本願(全48願)が記されております。その第17願にこんな事が書かれているのです。「十方世界の無量の諸仏、ことごとく褒めたたえて、わが名(南無阿弥陀仏)を称せずは、正覚をとらじ。―この宇宙にはガンジス河の砂程におられる多く仏様方が私の名を褒めたたえなければ、私は仏にはなりません。」と誓われております。私は一時、宇宙におられる無数の仏様方の大合唱に加えて頂くのです。まさに宇宙と一体となれるのです。また同時に地(地球)のエネルギーを頂くのです。
この『南無阿弥陀仏』は瞑想時だけでなく、食事の時、散歩の時、お風呂の時、車の運転時、いろんな時、にいろんな所で唱えます。「阿弥陀様、有難う御座います。」との思いです。
現代社会、インターネット・スマホ時代、多忙な情報を日々です。時には、自分の内部に意識を集中する事も大切な事と思われます。
楽しい瞑想の時間を習慣にして行きましょう。
輝ける一日一日を創って行きましょう。
コメント